2019/07/25

「老人と海」(ヘミングウェイ)を読んで【高校生用】

 海。広く深く、無限の海。海から生命は誕生した。私の知る筈もない大古から、海は地球にどっしりと横たわり、今と変わる事なく、生命の営みを見据えてきたのだろう。
 大きく力強い印象を受ける海に対し、「老人」という響きに、私は痩せこけて、背中の丸く曲がった弱々しいイメージを抱いた。「弱いものと強いもの」「小さいものと大きいもの」、なるほど。対照的な先入観を与えられ、話の結末をあれこれと想像しながらページを繰る事にした。
 ところが、サンチャゴ老人は「弱いもの」でもなければ「小さいもの」でもない。確かに海の長い歴史や、の雄大さを前にすれば、人間などほんの米粒に過ぎない。しかし、彼の目は海と同じ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせている。「おれは死ぬまで闘ってやるぞ。」、彼の闘志は海にも負けないのだ。彼の生気をみなぎらせるもの、彼の闘志をこれ程掻き立てるものは何なのだろうか。
 それは、漁師に生まれついた彼が、長年兄弟分の様に親しんできた海、ラ・マルの他ないであろう。ラ・マルは、時に静かに優しく包み込んでくれる。生きていく為に必要なものを提供してくれるが、その反面、漕ぎ出して来る者に容赦などしない。それでも彼は、自分に襲ってくるどんな苦難にも、決して負けない。彼は自分自身に敢えて闘いを強い、負ける事を否定する。これは、ラ・マルで培われた闘志である。苦労の末、やっと仕留め
た大魚が骨だけになってしまっても、こんな彼が抱くのは、絶望ではないだろう。漁師として、人間として、また新たに何か大きな大切なものを手に入れたに違いない。彼の漁は無駄ではなかった筈だ。
 そんな老人に比べ、私はどうであろうか。「板子一枚下は地獄」と言われるように、漁師というのはいつ命を落としてしまうか分からない危険な仕事である。それでも、漁師にとって、海は正に生活の基盤であり、漁こそが生活していく唯一の手段である。しかし、私達が日々を送っているのは、それ程危険な目にも会わず、自分の手を汚さずに生きていける社会構造の中だ。苦労なく、力も必要なく、祈る事もなく、こんなに容易に望む物、
平穏な生活を手に入れる事が出来る。お金さえ払えば何でも揃ってしまう。それが余りにも当然の様で、少しの違和感すら抱かないでいる。また、これまでに自然の前では本当に無力だと思う事がたびたびある。私こそ、弱く小さいものだと思い知らされる。
 自然は今や、目まぐるしい勢いで破壊されていき、そこには無残にも朽ち果てた大地が広がり、或は何の温かみもない人工的な建造物が根を張る。それが一体何をえてくれるというのか。何を与えてくれるというのだろうか。私達は、利便や快適さを追求する余り、自然と疎遠になっていきつつあるにつれ、大切な事を見失ってきたのではないか。
 家の近くにあり、幼い頃によく出掛けて行った野原や池や田んぼも跡形もない。子供達は、自分の体験から知識を得る機会を奪われ、家にこもって手先だけで遊ぶようになってしまった。生命は自然と離れては輝けないのだ。
 四日間にも及ぶ漁から帰ったサンチャゴ老人は闘い疲れて深い眠りに着いた。彼はライオンの夢を見た。それは、彼がこれまで生きてきた漁師としての誇りであり、尽きる事ない闘志の確証であろう。目を覚ませば、再び舟を漕ぎ出し、闘い続けていくに違いない。海に出、漁をするという事は、彼の「生」そのものなのだから。その上、彼のラ・マルは輝く生命に満ち溢れている。そのラ・マルを前にして、漕ぎ出さずにいられようか。
 海。海は闘う人間を生み出し、来る日も来る日も漕ぎ出させる。静かに語り掛け、慰め、安らぎも与えてくれる。
 そして、今と変わる事のない、輝く生命の営みを見据えていく事であろう。

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