2019/08/27

『芋粥』(芥川龍之介)を読んで【高校生用】

 「理想」や「欲望」といったものは、それを追求する過程においてのみ、価値を生じるものなのだろうか。私たち人間は、それぞれに無限ともいえる「理想」「欲望」を抱えて生きている。それらは、すぐにでも手の届くような小さな「欲望」から、強い意志と果てしない努力を要する究極の目標とも言える「理想」まで様々だ。私たちは、その実現に努力するが、一旦かなえられてしまうと、しばしば幻滅をもたらしているようにも思える。
 五位の容貌は「非凡」なまでにだらしなく、そのみなりも「委々しい」ものであった。周囲の者はそんな彼を軽蔑し、彼の言動を何かにつけて嘲笑、罵倒した。しかし、彼はどんなに揶揄されても腹を立てたり涙を見せたりしない。顔色一つ変えずただ黙然といつもの役目を繰り返す。意気地がなく、自負心というものを持ち合わせていない彼は誰にどんな悪戯をされようが、意地悪を言われようがお構いなしなのだ。
 そんな人間だから、人生に何の希望も持っていないかというとそうでもない。どんな人間でも、生きるためには多少の希望が必要であろう。これが明日を生きる活力を生み出す。
 五位の唯一の至福の時は、芋粥をすする時である。しかもその機会は年に一度あるかないかで、すすると言ってもわずかに喉を潤す程度のものだ。しかしこの瞬間に彼は人生の喜びを感じる。「芋粥に飽かむ」これが彼の一生を貫いている希望つまり「欲望」だ。彼は、この小さな「欲望」を糧として何十年も生きていると言っても過言ではない。
 しかし、彼の「欲望」は、思いの外容易に実現することとなる。利仁が彼の本拠地である敦賀に連れて行き、芋粥を馳走してくれるというのだ。利仁の館に到着したその夜のこと。何となく釣り合いのとれない不安が五位を襲った。明日には芋粥が腹いっぱい食べられる、時間の経つのが待ち遠しい、という気持ち。と同時にその時をそんなに早く迎えてはならないような気もする。この二つの感情が五位の中を交錯していた。五位にとって翌 朝待っているものはこの上ない幸福のはずだが、利仁の従者たちが芋粥の準備に奔走するのを寝耳に聞きながら彼はこんなことを考えていた。周囲から寄ってたかって揶揄されていた都での暮らしがなつかしい。芋粥の存在がまだ遠かったあのころに戻りたい――。
 案の定、彼は翌朝の膳にのほった芋粥を食べる気になどなれず、ただ見るだけで満腹を感じてしまう。五位の唯一の希望「欲望」は、「芋粥に飽かむ」ただそれだけであった。つまり所詮は「理想」になり得るようなものではなかったのだ。
 しかし、考えてみると、私たちはどれほど自分の夢「理想」を明確に認識しているといえるのだろう。 現代という時代では、自分の一生を物語として描くことが難しい。一生を貫く夢を持っている人はまれだと思う。このために自分は生きている。というものが欲しい。が、大きな夢でもつかみどころがなければ、それを目標に何十年も生きていくのは困難だ。ささやかでも、手をのばせばすぐにでも手に入るような「欲望」が、私たちを明日へ導いているというのが現実なのではなかろうか。ある面、私たちは五位と変わりないのではないか。
 ところで、私自身の「欲望」の内実はどういったものだろう。食欲、財欲、情欲と様々ではあるが、やはり私が一番求めているのは他人に認められることだと思う。そのために日々思い悩み、努力し、その悪戦苦闘のなかで見出した小さな悦びを明日への活力にしているのだ。他人に認められたいと思うことは、他人との関係の中でこうありたいという自分像を抱いているということだ。私は常に他人との相互関係の中で、よりよき自分の在り方をさぐっていたのだ。いや、これは私に限ったことではなかろう。私たち人間は、他者の存在によって人間たりうるのだ。日々を無為にこなすだけでは、生きる価値も持たない。五位には他者が存在していない。だから五位の「欲望」は達せられぬうちが花だったのだ。他者との関係から生じる「欲望」は、達せられると同時に次の次元へと進む。ある面、貪欲の塊である私たち人間には、この心理のからくりを止めることは決してできまい。しかしながら、この貪欲さが私たちを動かしている要因の一つであることもまた、紛れも無い事実である。「欲望」とは、私たちの現実を理想へと近づけるためのアイテムになりうる。そう考えると、「欲望」の中身そのものが、私たちの人格そのものを表していると言えるのではなかろうか。何を望むかによって、その人間性が見えるだろう。私は、自分の「欲望」を「理想」に一つなげるものとしたい。そして、それが社会にとっての「理想」と重なるよう、他者との関係を見つめながら自分自身の生き方を見定めていきたい。

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