私は子供の頃から、母の日に母親に「ありがとう」と言ったりするのは、はずかしいという気がしてとてもいやだった。周りで、お母さんを大切にしたりしているような姿を見ると、かっこつけていい子してと思っていた。そんな私だから、母に感謝することなどなく、特にそういう言葉は、簡単に口にするものではないと思っていた。
母というものをテーマにしたものは、いいことだなと思うことがあっても、理由もなくいやだなとも思っていた。だから少し前に、この本がランキングでいつも上位にあった頃、またあんな本出して、絶対読まないと思っていた。
それからしばらくして、この本のことがあまり話題にならなくなった頃、テレビでこの本に出ている人達が、短い手紙にまつわるエピソードを話している番組が放映されていた。もちろんその時、まだ私は本の方は読んだことがなかった。にもかかわらず、あれだけこんな話がいやだった私が、特に戦中戦後の苦しい時代の母への想いを聞いて、タオルを持って泣いていたのである。これには自分でも本当に驚いた。
そして夏がきて本屋さんに寄った時、迷わずこの本を買って帰った。その夜読み始めた私は、たまたま母親がいなかったせいか、またタオルを片手にすぐに涙が出てきて止まらなかった。
いくつかの手紙の中で、「修学旅行を見送る私に『ごめんな』とうつむいた母さん、あの時、僕平気だったんだよ。」という横川民蔵さんの手紙が小学校の時に母子家庭となり、決して楽ではない私の心を強く打ったように思う。でも私は横川さんのように平気だったんだよとは言えないと思う。そのことを思うと自分が情けなくなってまた涙が出てきてしまう。
私は、本を読んでこんなに泣いたことはなかった。でもこの本はたった三行程度の言葉だけで、最初から最後まで泣いてしまった。その頃精神的に いろいろあったせいか、手紙の内容とそれが直接関係はなくても、母という言葉が出てくる度に胸の内にあるものが、次々と込み上げてきて止めることができなくなってしまった。もしかしたら、私にとって母という言葉は、心の張りつめた緊張感をほぐすものなのかもしれない。そのために、今までそれを聞くのも使うのも抵抗があったのかもしれない。この本がそのことに気づかせてくれたように思う。
自分が思っていることをうまく相手に伝えることができない私は、手紙に書いて伝えることが自分にとって一番よい方法なのかなと思うようになり、もう三年ぐらい手紙を書き続けている。
最近では、週一回必ず絵はがきと手紙を一通ずつ誰かに書いている。私はいつも書けるだけいっぱい書くようにしている。でもたった二行か三行で言いたいことを表現できるとともに、たったそれだけのわずかな言葉が人を感動させることを知った。
また手紙を書けば、八割は返事が届くけれど、このような返事を必要としない手紙もあるんだなと思った。現在ではコミュニケーションの道具としてメールやSNSなどが多用されるけれども、「母への手紙」によって、手紙の良さ、深さ、必要性がよくわかり、これからも手紙を書き続ける勇気と自信とを与えられたように思う。
ふつうそんなに感動するのなら何度でも読むものなのかもしれないが、私の場合実はまだ一回しか読んでいない。なにしろ読むと涙が出るものだから、家に誰かがいる時や、外出する日は読めないのである。でもいつか心が張りつめてしまった時には、母という言葉によって涙を流し、また次の日から頑張ろうと思う。
いろんな人のいろんな母への想いを表現している手紙を読んで、私も日本一短い母への手紙を書いてみた。
「私のすべてをそのまま受け入れてくれるあなた。私もあなたのような母になりたい。」
誰にでも必ずいる母。その母に不平や不満は言えても、絶対にこんな想いを表現することができない私だった。この一冊によって、心の中にある母への想いを初めて言葉にする機会を与えられ、まだ気持ちは複雑だが、母への接し方が少し変わりそうな気がする。
手紙がこれからも、私も含めてすべての人々の心を潤していってほしいと願っている。