「どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号」
これは博士の言葉だ。目に見えない、書き表すことのできない数字を、ルートの中にいれてやると、誇らしげに、立派な一つの数字となって私達の前に姿を現す。決してどんな数字でも、ルートは中に入ってきたものの全てを難なく受け入れてくれる。その数字がしっかりと足で立てるように、柔らかい優しさをかぶせてくれる。きっと「私」にとって、博士の存在もルートだったのだろう。
主人公である「私」は高校三年生の時に妊娠し、一人で子供も産み、家政婦の仕事をして育ててきた。「私」の母は娘の妊娠に激怒した。母も同じ経験をしたから、父のいない子を産み育てる苦しさを知っていたからこそのことだと思う。そんな過去を持つ「私」や息子には博士の存在はとても温かいものだっただろう。決して博士が直接、優しい言葉や行動を「私」に投げかけることはないが、他人の目を気にする母のもとで育った「私」にとって、博士といる時間は、とても心地良い、心休まるものだったのではないかと思う。博士にとって大切なのは目に見えていることだけではなくて、内面にある深いものを読みとっていくことなのだろう。一方、「私」の息子はとても素晴らしい少年だ。博士には「ルート」というニックネームをつけてもらった。きっと彼は生まれて初めて平らな頭であることを嬉しく思っただろう。ルートは父はいないし母は仕事なので、家では一人のことが多いはずだ。もし私がルートだったら、寂しくていじけてしまうに違いない。だが彼は、自分と同じくらい寂しい思いをしている母に気づき、思いやることができた。彼は本当の「思いやり」を知っていた。博士の子供に対する愛情は果てのないもので、ルートはいつも博士の大きな腕にすっぽり包まれていた。そしてルートもそんな博士に対して、いつも精一杯の思いを込めた行動でかえしていた。
博士の記憶は八十分しかもたない。私はそれがとてもしかった。三人の仲は決して八十分以上深くはならない。どんなに貴い時間を一緒に過ごしても次の日に博士がそのことを覚えていることはない。事故に遭った日から博士の思い出が積み重なってゆくことはないのだ。悲しいのだけれど、この本からそっと流れてくる空気は激しい悲しみではなく、少し切なく、そして美しい静けさを漂わせていた。何故なのだろう……。もしかしたら博士の病気は世界を表しているのかもしれない。博士は毎日、新しく生まれて来ているのかもしれない。誰かが死に、誰かが生まれるように。誰かが残していった想いを、誰かが受け継ぎ、またそれを繰り返していくように、博士も日々生まれては、過去の自分から数式を受け取り、未来へそれをつなげていっているのかもしれない。数式はいつまでもかわらずにそこにあるからだ。
私はこの本で数学の美しさを知った。数学がこんなに綺麗なものだったなんて知りもしなかったし、そんな風に考えること自体思いもよらなかった。私はこれまで、自分が数学が苦手教科な事もあって、数学なんか何であるんだろう、日常生活で役に立つ事なんかほとんど無いじゃないか、と思っていた。でも「数学の存在の意味を考える」という事が間違いなんだと思った。数学は私達がその存在を知る前から私達の側に存在していて、純粋に美しい一つの世界なのだと気付いた。数学を学ぶ事は、宇宙に秘められた謎を解明していく、目に見える姿にしていく事なんだと思った。友愛数や完全数といった数字達は、二つの数字の間に隠された関係や、一つの数字が背負っているものの重さに気付いた途端、ただの数字ではなくなる。両手でそっと包み込みたくなるような、はっと見上げてしまうような、こんな素敵な数字の存在を知らないまま生涯を終える事がなくて良かったと思う。一見ただの数字であったり、頭を悩ます嫌なものだったりする数字。でも実は健気で美しくて裏切りのないもの。色々なものがうごめいて、底知れない暗さや濁りをもった、この世界の中に存在している、真っさらなものの一つなんだと気付いた。私はこの本のおかげで前より数学を好きになりそうだ。
博士のように繰り返し繰り返し始まる人生、世界。博士のような、素直に美しい物を追い求め、教え伝えていこうとする気持ちを持ちたい。博士やルートはどんな状況におかれても、自分にとってプラスになるような考え方ができる。それは彼らがこの世に存在している、幸せになるための手がかりを見つける努力を怠らなかったからだろう。だから私も身近なものに美や感動を見出せるような見方ができるようになりたい。きっと私の心を動かすものは、ずっと前から側にあって、光の角度によって輝きを現すだろうから。