2019/08/26

『ビルマの竪琴』(竹山道雄)を読んで【高校生用】

 「私は日本には帰りません。この国のいたる所に散らばっている日本人の白骨を始末します。亡き霊に休安の場所を与えます。」僧となった水島上等兵の手紙には淡々と、しかし力強くこう書かれていた。
 戦後七十年…。 今年に入ってこの言葉を何度耳にし、目にしただろう。幾度も繰り返される戦後七十年の言葉に、戦争について無関心になるまいと耳を傾けていた。ただ過去の悲惨な出来事としてのみとらえることは決してすまい。そう思っていた。でもそんな思いの中には予盾があふれていた。生々しい戦争体験を聞き、体をこわばらせてみても、戦争で亡くなった人々に同情してみても、所詮、他人事でしかないのである。他人事だからその場しのぎの同情ができるのだ。他人事だから悲惨すぎる事実から目を逸らすのだ。そして、戦争中の苦労を理解したような顔をして、欲しいものが欲しいだけ手に入る現代で、わがままにそして自分勝手に生きることができるのだ。戦争を理解しようとしている自分の中に、矛盾にあふれた冷たいもう一人の自分がいることを、この物語が教えてくれた。
 「私は日本には帰りません。」彼の言葉は、私の想像を絶した。戦争のことを理解しようと思い、この本を手にした私は、水島上等兵には、ほかにやるべき事があると当然のように考えていた。それは、他の隊員たちと共に日本へ帰り、廃墟となった日本をたて直すことだった。それは確かに想像もできないほど辛いことだろう。自分の愛した祖国はみじめな姿に変貌している。しかし、そこから逃げてはいけない。今まで国の為に戦った者であるからこそ、人々が悪しざまに罵りそしっている日本を見捨ててはいけないのだ。そうすることが、異国の地で亡くなった同胞たちの死を無駄にしないということだ。確信を持ってそう考えていた私の心の中を、水島上等兵の言葉が何度も何度も駆け巡ったのだ。
 そして、戦争を理解しようとしていた自分の中に、本当は一番大切なことを無視している自分がいることに気付いた。それは、とても冷たい自分だった。冷たい自分が心のどこかで戦争を過去の悲劇ととらえていた。つまり、空襲の中を逃げまどう人々も、食べる物もなく飢えている人々も、そして異国の地で命を落とした人々も、自分と同じ人間であることに気付いていなかったのだ。戦争を経験した人々は、何か特別な人々で、ひどく不運であった人々として考えていたのだ。そんな事を考えながら私は、水島上等兵の生き方を否定し、彼に人間の当然の感情である、死を悲しむことを越えた強さを求めていた。現代の自分においても、誰かの死の悲しみに耐え、それを乗り越えることは難しいことなのに。
 再び私の心の中を、水島上等兵の言葉がよぎった。彼の中には、異国の地で僧として生きることに迷いはなかったのだろうか。愛する祖国を捨てることに、そして日本で始まるはずであった新しい生活を捨てることに迷いはなかったのだろうか。私はまだ彼の選んだ道に疑問を抱いていた。しかし私は、水島上等兵がビルマに残ることを決めたのは、彼が逃げることをしなかったのだということに気が付いた。つまり、戦争を経験した人々は、戦争によって人間の持っている様々な感情を踏みつけられた。敵を僧く思い、殺し合わなければならなかった。自分の中の人間らしい感情を傷付けられても、彼らは戦い続けねばならなかった。水島上等兵の周りでも多くの同胞が命を落とし、彼の人間らしさもまた、非常に傷付いただろう。しかし彼は逃げなかった。戦争に踏みつけられても人間らしい感情を失わず、仲間の一人一人の死を、今の私の一人の大切な人の死と同じように受けとめることができたのだ。ビルマに残り僧になることは、単に日本を捨てると言うことではなく、仲間の死から逃げなかったのだ、ということに気が付いた。水島上等兵がビルマで亡くなった兵士の骨を土に葬る姿の意味にやっと気付いたのだ。私の大切な人が一人亡くなる悲しみの大きさと、戦争で亡くなった多くの人の中の一人として亡くなる悲しみが同じことを。
 戦後七十年。この節目の年に私はこの本に出会えてよかったと思う。戦争を理解しようとする私の中にいる冷たい自分を発見できてよかったと思う。私はこの物語を通じて、戦争を知らない人間にとっての役目を見出すことができた。それは、戦争で苦しんだ人々を自分と等身大にとらえるということだ。もちろんそれは、必要な物が必要なだけ手に入る現代の私たちには容易なことではない。しかし、今こんなに平和に、そして裕福に生活している私達と、同じ人間としての感情を持っていた人々が、その感情を踏みつけられたという事実を決して忘れてはならない。そして、多くの人々の人間らしい感情を犠牲にした戦争を引き起こしたのも、私たち人間であることを忘れてはいけない。

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