私はこの『黒い雨』を今までにも何度かとばしとばし読んだことがあった。私は原爆病や放射能の人体に与える影響に殊に興味があったので、この小説での原爆病に関する記述を中心に読んでいた。今回読んだのも、やはりその理由はあったが、折角八月六日に新聞でああいった記事を読んだのだから、最初から読んでみようかという気になったのだ。しかし、最初から最後までを読み通したとき、あまりの恐ろしさに途中何度か読むのをやめたくなった。読めば読むほど、私の頭の中は混乱し、冷静に考えられなくなっていった。原爆のことは何でも知っているつもりだったが、果たしてこんなに恐ろしいものだっただろうか? 読み終わったとき、私は今までなにか大きな考え違いをしていたのではないかと思わずにはいられなかった。
場面は、戦争から何年も経過し、平和に戻りつつあると思われた頃の或る家庭に始まる。養女の矢須子の縁談がもうまとまりそうだというときに、矢須子が原爆病だという根も葉もない噂が広まる。そこで、養父の重松の書いた被爆日記が先方の誤解を解く為に取り出されたというわけである。そこから、被爆日記と現在を交えて話が進んでゆく。しかし、重松やその他の被爆者についての記述が多く連ねられ、とりあえず原爆直後の無残な光景を目の当たりにして愕然としていると、さらに次の悲劇が待っていた。矢須子が原爆病を発症したのである。婚約がまとまりかけていたために、それをうち明けられず、ほぼ手遅れの状態でそれは発覚した。それから終わりまでは、矢須子の病状を克明に記してある。歯が抜けたり折れたりする。歯茎からは血が流れ出して止まらない。脱毛はなおのこと、腫れ物が次々につぶれては新しくでき、またその繰り返し。私が特に鮮明に記憶している場面は、入院中の矢須子が、夜中、患部のかゆさに泣いていた場面である。看護婦が寝間着の裾をめくると、腕虫がうようよいたというのである。腫れ物の腐敗している部分に卵を産み付けていたのである。現代では考えられないことだ。何の薬を飲めば何に効くのかもわからず、行く先行く先で診断も異なり、ただ病状だけがひどくなってゆくやりきれない女の姿は、まるで目の前で見ているかのように克明に浮かんできた。原爆をただの過去の出来事として記憶していくのはあまりにもあさはかだと思った。
現代は、物事の色々なとらえ方や考え方が多すぎて、私もよく混乱する。何が正しいのか、何が間違っているのか、その根本までが揺らいでいるように思う。おそらく、私が原爆投下を「やむを得なかった」と感じてしまったこともそうだろう。温室同然で育った私達は、当時の人々が日々を生き抜くだけ、たった今日一日を生きるためだけにどれだけの労力を費やしていたかを知らない。
途中「水とはこんなに旨いものであるか」という重松の言葉があった。丁度この夏は猛暑であったが、のどが渇いたときの水分は格別だ。そういった、当たり前のことがいつになっても変わらないことは誰もが知っている筈なのに、人間は大事なことをなぜか忘れてしまう。今この瞬間に自分が生きていることを、ただ当たり前だと思わずに、過去のいろんな出来事の上に自分が生きていると認識して、自分のこれからするべき事を考えれば、間違いなど起こるはずがない。この小説の中の人間達も、私達現代人も、今日を生きるために生きていることには変わりない。
戦争が終わっても、平和の訪れなかった人々。たとえ原爆投下のおかげで戦争が早期終結したのだとしても、この原爆投下が悲劇であることに変わらない。五十年余りが経ち、忘れられそうになっているこの出来事は、今になってたくさんのことを教えてくれた。私は、ただもう二度と黒い雨が降ることのないように、このことを忘れずにいたいと思う。