表紙のかわいい小さな女の子せつ子。木のかげにかくれて、そっと顔を出している。「お兄ちゃん、ここだよ。」と声が聞こえてくるようだ。かくれんぼしているのかな?
せつ子の顔は、とても楽しそうに見える。
ほんとは、つらい事たくさんあったんだよね。でも、いつも笑顔で明るく元気だったせつ子。
戦争がなかったら、清太もせつ子も死なずにすんだのに。
清太は、ほんとうに強い人だと思う。お母さんが死んでもがまんして、お母さんのかわりに一生けんめい妹のめんどうを見て、必死で生きようとした。だんだん食べ物がなくなって、せつ子が栄養失調になり、妹に食べさせるために悪いと知りながら、畑でやさいやくだものをぬすんだ清太。見つかってひどいめにあっても命がけで妹のためにぬすみつづけた。どんなにつらかっただろう。
弱っていくせつ子を医者にみせても、栄養をつけることだと言われた。「えいようなんか、えいようなんか、どこにあるんですか。」この時の清太の気持ちを考えるとかわいそうで、ぼくはとてもくやしくなる。食物がないのは、わかっているのに。食物さえあればなおせるのに。
でももっとくやしかったのは、途中で戦争がおわったのにお父さんは戦死し、清太やせつ子までやせおとろえ死んでしまったことだ。なぜ清太やせつ子は死ななければいけなかったのだろうか。あんなに一生けんめい生きていたのに。
このお話の中でぼくが悲しかったのは、からっぽになったドロップの缶に清太が水を入れて、それをせつ子がおいしそうに、飲みほしたというところだ。
ぼくはお店で、せつ子が持っていたサクマドロップを見つけた。何日かかけて食べた後からっぽになった缶に水を入れて、飲んでみた。でもなんの味もしなかった。この水が、おいしいなんて信じられない。ぼくは胸の中が、いっぱいになった。
もう一つは、せつ子が死ぬ前にドロップのかわりに、おはじきをなめていたところだ。弱っていたせつ子には、おはじきがおいしいドロップになっていたんだなあ。もう少し早く戦争がおわっていたら、みんな死なずにすんだかもしれない。
今この時代でも、どこかで戦争があって苦しんでいる人たちがいる。清太やせつ子と同じめにあわせてはいけない。たくさんの人がこの本を読んで、命の大切さをもう一度考えるべきだとぼくは思う。
ほたるのように、いっぱいかがやいて天国へいった二人のことを、ぼくはずっと忘れない。そしてこれからも、この本を時どき開いて、清太やせつ子のことを思い出したい。