乙武さんのお母さんと乙武さんが初めて出会った時のお母さんの言葉。手足がほとんど無い我が子と、出会って、ショックを受けるのではなく心から喜んだお母さん。なんてすごいんだろう。ぼくは、母に、乙武さんのお母さんのように、出会えた喜びにあふれた気持ちで抱くことができるかたずねてみた。母は、「たぶんできないだろう。」と答えた。それが、ふつうなのかもしれない。
乙武さんの学校生活の中で一番楽しみにしていた時間は、休み時間だった。サッカー、野球、ドッチボール、どうやってするの、と思うことをみんなとやって楽しんだ。その秘密は「オトちゃんルール」。周りの友達の「オトちゃんと一緒に遊びたい。」という強い気持ちがうみ出したルールだ。そして、ルールを作ることは特別なことではなく、ごく「あたりまえ」とクラスメートも乙武さんも思っていたところがすごいと思った。それだけ乙武さんが、特別な人ではなく、ただのクラスの一員、自分達の仲間という思いが強かったのだろう。そしてこんな友達に囲まれていたので、休み時間が大好きだったのだろう。
乙武さんは、その後も、バスケットボール部に入ったり生徒会役員になったりと、ふつうなら無理だろうと思うことを、次々にあたりまえのようにやっていった。乙武さんは、きっと何をやるにしても初めから「できない。」とは考えない。まず、やってみる。失敗したら別の方法でやってみる。そうやってできたことが次への自信へつながっていくのだと感じた。ぼくは、「五体満足」であるが、日々の生活の中で、「どうせできない。だからしない。」と逃げていないだろうか。乙武さんも「だめだできない。」と思ったことがあっただろう。でも、それを乗り越えてがんばり続ける心の強さがあった。ぼくも、その心の強さを身に付けたい。
乙武さんは、アメリカに渡った時、アメリカでは、すれ違う人からじろじろと見られないと感じた。それだけ障害者の存在が日常化しているということだ。身体の障害=身体的特徴、それだけのことだ。学校で観たパラリンピックのビデオの中に、「特別な目で見ないで欲しい。一人の人間としてスポーツマンとして見て欲しい。」という選手の声があった。そうなんだ。世の中には、太っている人ややせている人、背の高い人低い人、色の黒い人白い人、様々な人がいる。その中に、手足の不自由な人がいても何の不思議もない。一人一人違っているのはあたりまえのことなのだ。あたりまえと受け止めず、特別視する方がおかしいのだ。そういう気持ちでごくふつうに接することが、心のバリアフリーであり、乙武さん達が望んでいることなのだろう。
障害による不便さの無い社会、障害による差別感を感じさせない社会を作り、障害なんて関係ないと言えるようにしていきたい。